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JCKLニュースレター
タイムリー且つ皆様のお役に立つ情報発信を心掛け、毎月初旬にお届けいたします。
日本人会チャリティバザーが11月3日 (日)、PJのEastin Hotelにて開催されました。
会場では手作りの雑貨・アクセサリーのほか、日用品・家電などの協賛品をリーズナブルな価格で販売。さらに浴衣の着付けコーナー、多種多様なフードやバティックショップまで、両国の個性豊かなブースが並び、年齢や国籍を問わず多くの方がショッピングや文化体験を楽しみました。
本特集では、当日の様子を写真や来場者インタビューとともに振り返ります。
日本人会チャリティバザーとは?
KL日本人会が1973年にスタートさせたバザーで、第9回までは会館や大使公邸などで開催していましたが、第10回の1982年から会場をホテルに移し、当地の社会福祉の向上と、両国の友好関係を深めるイベントとして継続しています。
収益金の寄付先については毎年検討を重ねており、2023年度はマレーシア国内の12の福祉施設を支援いたしました。
オープニングセレモニー
スピーチに耳を傾ける来場者
JCKL慈善基金管財人の Captain Razak よりご挨拶
狩俣篤志公使よりご挨拶
開場前のテープカット
入場の様子
今年からチケットはオンライン販売となりました
ロビーで入場を待ちわびる来場者の皆さん
E-ticket をスキャンして入場
10時半の開場を前に長蛇の列ができました
会場の様子
● 手芸品
バザーサポーター (手芸品製作ボランティア) の皆様を中心に製作された完成度の高いアクセサリーや雑貨が並び、かとれあ会役員を中心とした多数のボランティアスタッフが販売を担当しました。今回初めて実施した「子ども販売ブース」も好評。詳細は本号かとれあ会のページをご覧ください。
つい手に取ってしまうお洒落なディスプレイ
クリスマスやお正月などのシーズンアイテムも人気商品
● 協賛品
協賛企業からご寄付いただいた日用品や食品、有名メーカーの家電などを市場価格以下で販売しました。
家電やワイヤレスイヤホンなど
種類が豊富で大人気のタンブラー
日本の食品や調味料もお手頃価格でゲットできるチャンス
2025年の壁掛けカレンダーも好評でした
● バウチャー
レストランやホテルなどがお得に利用できるバウチャーは毎年人気が高く、開場直後に売り切れるものもあります。
お目当てのものが売り切れてしまっても、当日一覧表を見てほかの商品を選んでいただけます。
開場とともに長い列ができます
バウチャーの一覧表と睨めっこ
● 浴衣着付け&撮影
「気軽に日本が体験できる」と特に地元の方々に人気の高いブース。
自分好みの浴衣に着替えたら、プロのカメラマンに撮影してもらい思い出を残しましょう。
着付けを体験されたIreneさんからのコメントをご紹介します。
「子どもたちを連れて日本に行くのはそう簡単ではありません。でも今日は私たちの元に“来てくれた”んです! ここマレーシアで日本の伝統衣装を着せてあげられるとは、何という嬉しい驚きでしょう。
身近な場所で、少しだけ日本を感じられました。ありがとうございます。」
● 福祉施設
施設で製作された手芸品などを販売しています。収益金はすべて各施設の運営費に充てられます。
ブキナナス身障者施設
PJスパスティックセンター
デイスプリング クラン 障がい児訓練センター
ユナイテッドボイス 学習障がい者自己啓発協会
● 外部出店・飲食ブース
ファッション、アート、グルメなど、様々なジャンルの38ブースが並びました。
メインホールの外は飲食&休憩スペース。豊富なフードを楽しみながら、ホッとひと休みできる場です。
バティックを使った華やかな雑貨
マレーシアのお洒落サンダルなど
通気性の良いコットンの上着が人気でした
日馬の定番商品もお手頃価格で販売されました
リーズナブルな地酒とワインはテイスト・度数も日本語表示
ノンアルコールワインのハラル商品も販売されました
お買い物の後は美味しいドリンクでひと息
マレーシア産の高級チョコレートをこの機会にお試し
馴染み深いお弁当や惣菜パンの数々
みたらし団子やくるみ餅、大福などの本格和菓子
日本人会テナントの朝日カフェから、ケーキや甘いパイナップル等
お買い求めの食品を飲食スペースで楽しんでいただきました
● お子さんが楽しめるブース
・浴衣の着付け&撮影
好きな色柄の浴衣を選べます
・JALブースの新企画
折り紙ヒコーキゲーム
・カプセルトイコーナー
いっぱいあって迷いますね
・セラミックアート体験
色付けして持ち帰ります
来場者インタビュー
冨田さん
「手芸品のほか、インド調の布製品を取り扱うZariさんで素敵なデザインのバッグを購入。午後にはお目当ての商品が売り切れてしまうこともあるため、今年はオープン前から並びました。自分用、家族へのお土産用にたくさん買い物ができてよかったです。」
Sheilaさん
「会社の同僚グループで来ました。イートインスペースでゆっくりしながら、グルメやショッピングを楽しんでいます。日本食が好きなので、来年はどんなものが並ぶのか期待したいと思います。個人的にはたこ焼きが食べたいです。」
MM2Hで滞在の方々
「それぞれに買い物を楽しんだ後、友人同士集まって歓談中のところお話を伺いました。念願のミニ門松を手にされた方、バウチャーを購入された方、最寄り駅のMRTフィレオダマンサラから徒歩で来場された方など、いろいろなストーリーを聞かせていただきました。」
Jasonさん
「マレーシアに在住12年になります。今日初めて浴衣を着ました。自分で好みの柄を選んで撮影までしていただき、貴重な経験になりました。海外にいながら日本文化が堪能できる素晴らしいイベントなので、来年も心待ちにしています。」
里村さん
「口コミでこのバザーを知り、昨年から参加しています。ドトールコーヒーや、マレーシア初上陸のチョコレートFika(伊勢丹)の試食などを楽しみました。本当に魅力的なイベントなので、より多くの方に知っていただきたいと思います。」
土井さん
「参加は3度目。その時々で気になったものやお買い得商品を購入していますが、今回は日本酒とカレンダーにしました。妻は手作り小物やアクセサリーを購入しました。来年以降バザー自体の規模、バウチャーのラインナップがさらに拡大されたら嬉しいです。」
関係者からのメッセージ
実行委員長 荘司憲一
11月3日にEastin Hotelにて開催された第52回日本人会チャリティバザーは、多くの来場者を迎え、無事に終了することができました。これもひとえに、準備段階からご尽力いただいた実行委員、かとれあ会、大使館関係者、そして日本人会事務局の皆様のご協力のおかげです。心より感謝申し上げます。
また、当日バザーを盛り上げるべく寄付や協賛、バウチャーをご提供いただいた企業・個人の皆様、ボランティアとしてサポートしていただいた皆様、そして出店いただいた皆様にも厚く御礼申し上げます。さらに、当日会場に足を運んでいただいた皆様のおかげで、会場は終始笑顔で溢れ、大変賑やかな一日となりました。
今回のバザーで集まった収益は、マレーシアの福祉施設に届けられ、生活改善や教育支援、医療支援などに活用されます。皆様一人ひとりのご支援が、支援活動の継続と発展に大いに貢献していることを嬉しく思います。
これからも、この歴史あるチャリティイベントを通じて、マレーシアの恵まれない人々への支援を続けてまいります。引き続き、皆様の温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。
元かとれあ会名誉会長(元大使夫人)
小西眞理子(東京在住)
クアラルンプールに着任しましたのは2001年12月、二週間後にその年のバザー収益金の贈呈式がありました。プアンスリ鈴木、故ハナさん、シャロンさんに導かれるままSelamat pagi、Terima kasih を初めて使いながらご挨拶したのがかとれあ会でのデビューでした。26の施設の代表の方々から溢れる感謝の言葉を頂いて、なんと素晴らしい活動を続ける婦人会!と思ったものです。
その後、いろいろな施設を訪問し、ブキナナス、Pure life Society、Tasputra Perkinなどでのボランティア活動に参加しました。施設で働く方々のご指導の下での活動で、多くのことを学び、目を開かせていただきました。施設では少しでも多くの資金が必要です。バザーの開催はなかなか大変なお仕事です。協力を仰ぐ会場のホテルとの交渉から始まって、商品、作品集めや各グループへの連絡と、会長をはじめ、役員の方々のご奮闘を見てきました。帰国後、当時ご一緒した方々と思い出話をしながら作品作りをして、ささやかな応援を続けさせていただいて20年になります。歳を重ね何時までもはできませんが、今年も立派な成果を上げられた、日本人会の皆様へ拍手をお送りしたいと思います。
スモッキング講習会 講師 藤木トモ子
日本人会のバザーの季節になると自分の滞在年数を考えてしまいます。1995年に主人の駐在に伴いマレーシアに参りました。その頃は各企業の奥様方、または地区ごとの奥様方と作品作りをしておりましたが、私は以前駐在していたテネシー州(アメリカ)で習っておりましたスモッキングという刺繍を使い作品作りをすることにしました。無料講習会でバザーの為に1人2枚作っていただき、1枚はバザーにドネーションしていただくというお約束で25年ほど続けています。
日本人がマレーシアに住ませていただいている感謝の気持ちを忘れずに、然るべきところに寄付をさせていただくことの大切さをこのバザーを通じて学びました。そしてこういった交流のかたちが末永く続くことを願っております。
今ではバザー作りをご一緒した皆様と一時帰国の際にお目にかかり、かとれあ会バザーの思い出話をしております。楽しい時間であると共に社会貢献もできるというこの時間をかとれあ会で体験できたことに深く感謝する次第です。
当日ボランティア 髙屋旭希
第52回日本人会チャリティバザーに、バウチャー販売の当日ボランティアとして参加させていただきました。
当日は想像していたよりも多くの方々が集う温かく活気ある場となっており、このような場において少しでもお手伝いができたことを大変光栄に感じています。
また、当日ボランティアとして関わることで、バザーの運営や準備の裏には、日本人会、かとれあ会の皆様、その他多くの関係者の皆様のご尽力があることを改めて実感し、日頃からのご活動に感謝すると共に、在馬邦人コミュニティの大切さやありがたさを感じる機会ともなりました。この先もこのバザーが長く続いていくことを願っております。
改めまして、ご来場いただいた皆様、バザーの運営や準備にご尽力いただいた皆様、ありがとうございました。
第52回 日本人会チャリティバザー2024
支援企業・機関と寄付者
52nd Japan Charity Bazaar 2024 List of Donors
Thank you very much for your kind donation & support !
こちら(Click Here) をご覧ください
かとれあ会
<第52回チャリティバザー「手芸品コーナー」ボランティアレポート>
2024年11月3日 (日) に開催された第52回日本人会チャリティバザーでは、多くの方々にご来場いただき、ボランティアの皆さまが心を込めて作られた手芸品をご購入いただきました。
今回初めて設置した「親子による子ども販売ブース」では、小さなボランティアたちが手芸品の陳列から、接客、販売、会計まで、一生懸命に取り組む姿に心が温まりました。
この経験は、子どもたちにとっても貴重な学びとなったことと思います。
手芸品を丁寧に製作してくださったボランティアの皆さま、当日受付のサポートや販売を支えてくださったボランティアの皆さま、初参加ながらも素晴らしい活躍を見せてくれた親子ボランティアの皆さま、そして手芸品をお買い求めくださった皆さま、一人ひとりのご尽力に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
お買い物を楽しんでいるお客さま
クオリティの高い手芸品の数々
笑顔で接客! 販売ボランティアさん
ボランティアさんとお客さまの和やかな交流
環境に配慮し、プラスチック包装が無くなりました
キャッシュレス決済を導入!
子ども販売ブースで頑張ってくれた子どもボランティアさん
<福祉施設『PJ SPASTIC CENTRE』でのボランティア募集!>
出典: Spastic Children's Association of Selangor & Federal Territory )
毎週木曜日 9~10am
場所:PJ SPASTIC CENTRE
ボランティア内容:音楽セラピー、教室への移動の補助など
かとれあ会では、教育、職業訓練、リハビリテーション プログラムの提供を通じて脳性麻痺の重度身体障害のある子どもたちの生活の質を向上させるというビジョンを持ち、1960年から活動している現地NGO PJ SPASTIC CENTRE の支援をしています。
毎週木曜日に、有志のボランティアが、子どもたちの音楽セラピーのお手伝いをしています。障害をもつ子どもたちに関わったことのない初めての方でも、センターの職員の指導のもと、安心してご参加いただけます。
まずは、見学からでも大歓迎です。
ご興味のある方は、Email: pjspasticvolunteer@gmail.com にご連絡ください。
今月の写真<ホワイトモスク>
「日本人はどうしてモスクが好きなのですか?」とローカルの方から聞かれることがある。マレーシアの名所として必ず挙がる『ブルーモスク』『ピンクモスク』という呼び方は、日本人には通じるが、ローカルの方に伝えると、「???」という反応が返ってくることが多い。
今月の表紙の『Masjid Sri Sendayan』(マスジド・スリ・センダヤン)はヌグリ・スンビラン州に位置し、約4,600人の参拝者の収容が可能という同州最大の規模を誇るモスクである。マレーシアの『タージ・マハル』という声も聞かれ、真っ白な外観からさしずめ『ホワイトモスク』と言ったところだろうか。施設内は豪華さとこだわりあるきめ細やかな装飾で実に美しく目が奪われる。また施設前の庭園もよく整備され、モスクの美しさを更に際立たせている。
2015年に建設が始まった『Masjid Sri Sendayan』は2019年に完成。最初はイスラム教の礼拝を目的とする施設であったが、観光客にも門戸が開かれるようになったのは最近のことのようだ。まだまだ日本人の間での認知度は低いが、ゲストブックに書かれていた日本人のお名前は存じ上げる日本人会会員の方々であった。長年住まわれている方たちの情報網、情報通はさすがである。
KLからは車で約1時間。公共交通を利用する場合、KTMセレンバン駅からグラブで約20分。『ブルーモスク』や『ピンクモスク』などと比べて少し行きにくい場所だが、車でポートディクソンやマラッカに向かうコースに組み入れるのも一つである。
なお、貸し出し用ローブは、ブルーモスクやピンクモスクに比べてその数は少ないと思われる。長袖長ズボン(ロングスカート)、髪を覆うためのストール等の用意が望ましい。
<マレー菓子 クエ タラム>
料理講習会講師 ちはる
マレーシアには「クエ」と呼ばれる伝統的なお菓子があります。いろいろな種類があるのですが、緑と白のコントラストが美しい「Kuih Talam クエ タラム」はういろうの様な食感の生菓子で、日本人にも好まれる味です。
緑色の層はパンダンリーフと呼ばれるハーブで色付けしてあり、パンダンの風味と甘みが感じられます。白い層はココナッツミルク味で、ほんの少し塩を入れることで味と風味のバランスが絶妙になります。どちらの層も米粉やタピオカ粉が主原料です。
作り方は簡単で、蒸し器など自宅にある調理器具で作ることができます。出来たてのもっちりとやわらかい食感と、豊かな香りを楽しんでみてはいかがでしょう。マレーシアのお菓子は甘いものが多いですが、ここでは甘さ控えめのヘルシーなレシピをご紹介します。
🍳 材料 2人分 (倍量にする場合は、ひと回り大きな容器を使い15分蒸す)
パンダンエッセンス
・パンダンリーフ 40g(約8枚)
・水 150ml
・白砂糖 75g
A (緑の層)
・米粉 25g
・タピオカスターチ 12g
・緑豆スターチ 12g
・塩 ごく少量
B (白の層)
・ココナッツミルク 150ml
(無塩)
・水 50ml
・米粉 15g
・緑豆スターチ 10g
・塩 ひとつまみ
調理器具・キッチン用品
・ミキサー/ブレンダー
・茶こし
・ボール
・泡だて器
・容器 5cm x 5cm x 5cm
・蒸し器/蒸し機能付き炊飯器
・ハンカチなどの薄い布
パンダンリーフ Pandan Leaf
香り付けのハーブで、着色料としても広く使用される
米粉 Rice Flour
いろいろなメーカーの米粉が販売されている
タピオカスターチ
Tapioca Starch
もちもちした食感のお菓子やパンに使われる
緑豆スターチ
Green Bean Starch
緑豆のでん粉
※粉類は密封して冷蔵保存
🍳 作り方
①パンダンリーフをキッチンバサミで細かく切る
②水150mlを加え、ミキサーやハンドブレンダーなどでペースト状に
③茶こしに移し、スプーンなどを使って水分を搾り出す
④砂糖を加えて混ぜ、溶かしておく
⑤ボールに④のパンダンエッセンスとAの材料をすべて入れて混ぜる
⑥湯を少し張った鍋の上に⑤のボールを置く
⑦鍋からの湯気を当てながら、生地がもったりするまで1分ほど混ぜる
⑧容器に移し、表面はやや粗いままにする(上の層がくっつきやすい)
⑨湯を張った蒸し器で12分蒸す(薄い布を挟むと水滴が落ちない)
蒸しの工程は炊飯器のスチームコースを使ってもよい
⑩洗ったボールに材料Bを入れ⑦と同じ要領でもったりするまで混ぜる
⑪生地を蒸しておいたパンダンの層の上にのせる
⑫表面を滑らかに整え、もう一度12分蒸す
⑬容器を取り出し、そのまま冷ます
⑭ナイフで切り分け常温で保存 (冷蔵庫に入れると固くなるので注意)
きれいに切り分けるには、ナイフに食用油をごく薄く塗るとよい。また、ココナッツミルクを使っているので早めに食べ切ろう。
今月の漢方
<血の道症と漢方2>
国際中医薬膳師/中医実習生 坪井良和
前回は「血の道症」という女性のライフステージ(生理、妊娠、出産、授乳、更年期)で生じやすい特有の不快症状について述べた。その中の代表的な症状とそれに対するポピュラーな処方について、順を追って簡単に紹介したいと思う。
「血の道症」が生じる原因は主に「気滞」「血虚」「瘀血」の3つがあり、今回は「気滞」について。
「気滞」と加味逍遥散
「気滞」とは、人間の生命活動を支える三大元素「気」「血」「水」のうち、体の各機能を動かすエネルギーをつかさどる「気」の動きが滞っている状態のこと。中医では「不通則痛」(通りの悪いところに痛みが生じる)というのだが、本来スムーズに流れるべきものが流れていないことでさまざまな不快症状が生じると考えられている。
道路交通を想像していただきたい。停電などが原因で信号が点灯しないとどうなるか。まず、交差点などで交通の混乱が起きる。事故を起こさないために全体的に徐行運転となり、車の交通量が抑制される。もし事故が起これば、その一帯はひどい渋滞となるだろうし、人の流れも物流も阻害される。解消されないと、局所的だった事象が町全体に拡大していくかもしれない。これと同じことが体内でも起こりえるとイメージしていただきたい。
気滞を道路交通に例えるなら渋滞発生
最初は、肩こりや腰痛のようにずっと同じ姿勢を続けることで気の流れが阻害されたのが原因かもしれないし、ストレスに耐える生活を続けるうちに体のあちこちが常に緊張状態で気の流れがスムーズに行かなかったのかもしれない。特に、生理や出産での出血によって男性と比べて相対的に貧血が頻発する女性では、血を蓄えて他の臓腑や器官に分配する機能を持つ肝に不具合が生じやすくなる。肝の経絡は足の親指と人差し指の間から生殖器を通り、胃を挟んでわき腹、喉、耳、頭頂と目をつないでいるので、肝の不調は足のむくみ、生理不順、食欲不振や消化不良、わき腹や乳房の張り、喉の不調、充血や目のかゆみ、耳鳴り、頭痛といった症状を引き起こしやすい。こうした症状は、女性の中でも特に30代後半から更年期にかけて、仕事や家事の疲労やストレス、出産や閉経によるホルモンバランスの変化を引き金に起こることが多く、臨床では加味逍遙散が処方されることが多い。
加味逍遙散が適用される代表的な症状
加味逍遙散
加味逍遙散は逍遥散という処方に山梔子(クチナシの実) ・牡丹皮(ボタンの根の皮) を加えたもの。マレーシアでは丹梔逍遥散ともいわれる。日本では女性のホルモンバランスの乱れによるイライラやのぼせ、不眠症など、原因のはっきりしない「不定愁訴」によく用いられる漢方薬。肩こり、ニキビや便秘に処方されることもある。その働きは、山梔子と牡丹皮で熱を冷まし、イライラやのぼせなど熱の症状を落ち着かせながら、柴胡と薄荷の発散作用で気の流れをスムーズにして気滞を解消し、甘草、当帰、芍薬、茯苓で脾胃を整えながら足りない血を補い、主に肝を整えるというものである。
加味逍遙散を学んだ時、恩師は現代の女性には欠かせない処方だと語っていたのが印象深い。昔ながらの子だくさん肝っ玉母さんの更年期とは違い、若いうちからさまざまなストレスにさらされ、日頃から思い悩みがちなうえに食生活も乱れがちな現代女性の更年期。仕事に、家事に、育児に奔走するうちに気滞症状が慢性化し、こもったやり場のない気滞が熱の症状として現れているのが現代女性の月経不順や更年期症状だと恩師は言っていた。だから「逍遥(気ままにぶらぶらと歩くの意)散」が必要なのだと。この逍遥散自体は今から千年ほど前中国宋代の医学書に記されたもので、脾胃が弱く鬱々しがちな深窓の令嬢や高官のご婦人方に処方されたのではないかということだった。閉ざされた社会の中で生活していた千年前の貴族の女性たちと、男性と肩を並べて活躍する現代の女性たち。時を経てもなお同じ基本処方が有効であるというのは、なんとも興味深いものではないだろうか。
中国、深窓の令嬢のイメージ
クリスマス会のご案内 (会員限定)
今年も恒例のクリスマス会を開催します。
「サンキャッチャーキーホルダー作り」「科学実験!キラキラ透明石けん作り」など楽しく学べるブースや、小さなお子さまから大人まで楽しめる「マジックショー」などがありますので、お見逃しなく! 詳細は下記の「プログラム」と「会場レイアウト」をご覧ください。
第30回 新年会のご案内 (会員限定)
開催日時:2025年 1月11日(土) 16:00~20:00
場所:KL日本人会会館
令和七年の新年会では日本のお正月遊び「かるた大会」や「もちつき体験」、中国伝統芸能の「ポールジャンピング・ライオンダンス」や「変面」など、盛りだくさんのプログラムをご用意しています。
会員の皆様のご参加をお待ちしております。
なお、当日は駐車場に日本食を中心とした屋台が並びます。そのため駐車スペースがありませんので、公共交通機関をご利用いただくなど、皆様のご協力をお願いいたします。駐車場に関しては こちら をご参照ください。
新年会実行委員会
活動報告<出産準備教室>
第79回出産準備教室が、11月14日 (木)、21日 (木)、23日 (土) の3回コースにて開催されました。
今回は8組のご夫婦のご参加があり、看護師・保健師・栄養士などの資格をもつ会員ボランティアによる講義が和やかな雰囲気で行われました。
講義は日本語で行われ、内容は、妊娠・出産の基本的な知識、赤ちゃんに関する事、予防接種、マタニティヨガなど多岐にわたりました。最終日は土曜日で、これからパパになる男性方も参加され、赤ちゃん人形を使って真剣に沐浴練習をしている姿が印象的でした。また、以前この教室に参加し当地で出産された方々にお越し頂き、リアルで貴重な出産の体験談や、出生届の手続きの流れなどを直接聞ける機会となりました。
頂いた感想の一部を紹介します。
- ボランティア講師の方々が和気あいあいとした雰囲気を作ってくださり、よく声もかけて頂き楽しく参加できました。
- 実際にマレーシアで出産・育児をされた方々のリアルなお話を聞けて、前向きな気持ちで出産を迎えられそうです。
- 1回目の教室が終わった後に参加者で昼食に行きました。妊婦同士で話が出来て距離が縮まり、その後の教室がより楽しくなりました。
次回の日程は決まり次第 ホームページ 等にてお知らせします。
11月6日 (水) にはぐくみ会が開催され、9名のお子様のご参加がありました。
この日は大きなパラバルーンを使ってみんなで遊びました。パラバルーンは薄くて軽い大きな布で出来ていて、スタッフやママさん方が布の端を持ち、上下に揺らしたり空気で膨らましたりして遊びます。小さいお子さん達は、風の圧力を感じたり布の形が変化するのを見たりして楽しむことができました。少し大きな子は、バルーンの下を走り抜けたり、上に乗ったりして楽しみました。
その他にも、ボランティアスタッフさんと一緒に季節の手遊び歌を歌ったり絵本を読んだりして、笑顔あふれる活動となりました。
今後の活動(予定)
12月4日 (水) クリスマス会
1月8日 (水) お正月
10:00~11:30
詳細はこちら
私達、アメリカ人の夫ピーターB. ハーイと私、彩子E. ハーイは、長年日本の大学で教えていましたが、定年直後の2008年からMM2Hビザでマラッカに住んでいます。今回、JCKLからよい機会を頂きましたので、愛するマラッカについて少々紹介させて頂きたいと存じます。
※筆者紹介 彩子E. ハーイ
北海道根室市出身。札幌市藤女子大学卒業後、OMF日本語学校に就職。アメリカ人の夫とニューヨークに3年、ロスアンゼルスに9年滞在。日本に帰国後、名古屋大学大学院にて修士号取得。大学非常勤講師として英語を教える。2008年に夫とマラッカに移住。
マラッカは首都クアラルンプールから車で2時間ほど南の、海運業で栄えた港町です。自然の良港であった河口に、15世紀初頭パラメスワラが小さな砦を築き、初代マラッカの王となり、アラブ諸国に重点を置いた交易の場を開きました。以来、アジアと中近東の交差点として、世界的にも重要な位置を占めるまでに発展しました。
強力な国々に南北を挟まれた弱小国マラッカが、このような繁栄を手に入れることができた背景には、中国 明の後ろ盾がありました。丁度その頃、明の永楽帝は中国内部の平定を完了し、中華帝国の実現を理想として海外へその勢力を拡大しようとしていたのです。永楽帝は、大陸の戦いの将であった『鄭和』を艦隊の提督に任命します。鄭和は3年をかけて208隻の船を建造、中国各地から特産品を徴収して積載し、2万8千人を率いて1405年に船出しました。鄭和の乗る親船は三層からなる巨大なもので、1492年のコロンブスの大航海に用いられたサンタマリア号と比較すると、長さだけでも5倍近くあります。中国各地からの絹織物、陶器、乾物、装飾品、調度品などを満載したこの船は宝船と呼ばれ、七福神が乗ってくる宝船の原型となっています。
鄭和は強大な戦力を見せつけながら、明への朝貢と引きかえに貴重な土産物を与えるという平和外交を繰り広げました。鄭和の航海は七度に亘り、インドからアラブ、アフリカ東海岸の諸国にまで及んでいます。1405年から1432年までの間に、鄭和はマラッカを五度訪れています。
明の海軍大将鄭和の肖像画
鄭和は日本では未だにその重要性を理解されていませんが、マラッカ及び東南アジアにおける中国文化の浸透、また、イスラム教の伝播に関して、鄭和なしに語ることはできません。彼の先祖はウズベキスタン出身のイスラム教徒で、雲南省に移住してその地域の指導的地位にありましたが、1381年、攻め込んだ中国軍によって鄭和は10歳の時に南京に連れ去られ、宦官にされてしまったのです。しかし、後に永楽帝となる将軍の息子のもとで軍人となり、その父親が皇帝となるのに従って軍の重要な地位につき、中国内部の平定に大きな役割を果たしました。国内の安定を見た永楽帝は、鄭和に海外遠征を命じます。
動力に風と潮流を利用する以外にない帆船による航海では、風待ち、潮待ちが不可欠でした。一度の航海には、南京を出発して帰還するまでに2年を要しました。艦隊には、水、軍馬や家畜の飼育、野菜の栽培、医療など、生活に必要な物資を供給するための船が整っていましたが、マラッカに着いた船団は、乗組員を休ませ、船を修理し、水や食料、医薬品などを補給し、風を待ちました。
鄭和はマラッカ河左岸に居住地と倉庫群を築いたと言われています。現在鄭和博物館がその跡地に建っており、当時の井戸が残されていて、夜中にキーッキーッと水を汲む音がするとか、しないとか。
鄭和の功績を今に伝える鄭和博物館
1425年、鄭和に海外遠征を命じた永楽帝が崩御し、息子の洪煕帝が即位します。洪煕帝は以前から内省実務を担当し、国富の増大に努めた優れた政治家でしたが、超肥満体で病弱であったため、在位9ヶ月にして他界してしまいます。しかし、その短い在位期間中に、国力を圧迫していた鄭和の海外遠征を廃止し、それと同時に、当時最先端であった航海技術、天文学、地図作成技術などを満載した、6回に亘る航海の詳細な記録を全て燃やして、将来における海外遠征の可能性の芽をも、摘み取ってしまったのです。
これ以後、明は北方民族対策、長城の建設に国力を費やすことになります。
しかし、洪煕帝の跡を継いだ宣徳帝は祖父永楽帝に対する憧憬が深く、鄭和に南海遠征復活を命じ、1431年、9年間の空白の後、鄭和は最後の航海に出発します。60歳になっていた鄭和は、病をおしての死を覚悟した船出だったと言われています。この航海で鄭和は、マラッカをはじめとする東南アジア、南アジア、中東、アフリカ東海岸への再訪を果たし、帰途1443年、インド洋上で病に倒れ、遺体は水葬に付されました。
鄭和の略年表(中国語)
鄭和の遠征によって、明朝と朝貢関係を結んだ国は40ヶ国に及び、世界的規模での経済や文化の交流を盛んにし、同時に、明の国力の周知に大きな役割を果たしました。鄭和の強大な軍事力が、これらの海域での海賊の掃討に大きく貢献したことは言うまでもありません。
また、鄭和は皇帝に献上するために、キリンをアフリカから中国まで運びましたが、その実物大のレプリカが鄭和博物館の船内生活を示すコーナーの一角に立っていました。博物館の規模が縮小された現在も、隣接するレストランにちゃんとそのキリンが立っています。お店の奥なのですが、お願いすれば快く見せてくれますよ。マラッカの一番の魅力は人々の心のやさしさにあるのですから。ただし、一品注文するエチケットを忘れないでくださいね。
(掲載した写真は、すべてマラッカの鄭和博物館所蔵です。)
鄭和博物館に隣接するレストランには実物大のキリンのレプリカが残っている
その後、マラッカは交易の地として繁栄を続けます。その頃のお話は、次回3月号に掲載予定です。
To be continued.
えっ!マレーシア <クアラカンサーの焼き物 >
マレーシアの工芸品 ラブ・サヨン
ペラ州のかつての王都クアラカンサーには、ウブディア・モスクやイスタナ・クナンガン(旧王宮)など美しい建物があり、マレー文化が息づいている町だ。
ペラ川に架かる橋(Sultan Abdul Jalil Bridge)を渡った郊外にあるサヨン村(Sayong Tengan, Kuala Kangsar)には伝統工芸品、ラブ・サヨン (Labu Sayong) を作っている工房が数軒ある。ラブ・サヨン、またはサヨンのエッセンスジャーと呼ばれるこの伝統的な陶器の水差しに、水を入れておくと冷たく感じるという。これは水差しからしみ出た水分が熱をうばって蒸発する際に気化熱を使うので、中の水が冷たくなるためだそうだ。また、水差しの内側の細かい隙間が不純物を吸収し、水を浄化する働きもあるとのこと。
いくつかある工房では水差しだけでなく、小物入れになるような壺や花器、味のある陰影を楽しむことができるランプシェードなどいろいろな作品を作成している。
数年前に訪れた工房では、主人が日本に修行に行った時のことなどを気さくに話してくれた。また、飲み水としてではなく、虫が嫌う香りのアロマオイルを水に数滴たらしておくと虫除けの効果があるとも言っていた。実際に試してみるとやわらかい香りがしてリラックス効果もある。また加湿効果もあるのだが、底からじわーと水がにじんでおり、あわてて受け皿を用意した。小さな壺は小物入れにしたり、タンブラー型のものはペン入れにしたりと日常生活に楽しんで使用できる。
これらは、KLにあるクラフト・カルチャラル・コンプレックス(Craft Cultural Complex)、マレーシア国営の民芸品店カリヤネカ(Karyaneka) 本店にて購入できる。
クアラカンサーは焼き物の町
工房の製作現場
町中にあるラブ・サヨン販売店
陰影が美しいランプシェード
ドライフラワーを挿してみては?
Banjaran Hotspring Retreat の宿泊記念
小物入れに最適
ウォーターポット
JCKLニュースレター
【編集委員】
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