マレーシアは南シナ海をはさんで東西に分かれている。マレー半島の南半分の半島マレーシア(西マレーシア)と海を隔てたボルネオ島の北部の4分の1強を占めるサバ、サラワク州(東マレーシア)から成り、東経100~120度、北緯1~7度の範囲にある。マレー半島は、北東部と中部をタイが,北西部をミャンマーが,南部をマレーシアとシンガポールが占める。国土の面積は約33万平方キロ、日本の9割弱の面積。原生林つまりジャングルで覆われている場所も多く残っており、緑豊かな国である。
赤道直下の緑豊かな国
熱帯夜の少ない過ごしやすい国
ほぼ赤道直下のため、日の出、日の入りの時刻の変化は最長でも30分程度で昼と夜の長さが年中ほとんど同じと考えてよい。クアラルンプールではおおよそ朝7時前後に日が昇り、夜7時前後に日が沈む。気温は1年を通して昼は32-34度、夜は23-25度である。
マレーシアはいわゆる熱帯に属すが、夜は25度以下に下がるので、いわゆる熱帯夜は少ない。湿度は雨季には70~80%を超えるが、乾季は最低42%。年間の雨量は場所により1,800ミリから4,000ミリの範囲。雨季は、南シナ海から北東モンスーンが吹く。5~9月はインド洋から南西モンスーンが吹く。この時期はマレーシアでは比較的雨量の少ない時期である。その間の3~4月は雷を伴うスコールが多発する時期。
マレーシアの政治形態
半島側11州と東マレーシア2州合わせて13州と連邦直轄区すなわちクアラルンプール、プトラジャヤ、ラブアン島からなる。政治体制はいわゆる立憲君主制で日本と似た形態といえる。マレーシアの国王(アゴン)は9つの州を代表するスルタンの間で5年毎の選挙で決めることになっている。議会は上院と下院の二院制、下院に大きな権限が与えられている。上院議員の総数70名のうち44名は国王の指名により任命され、残り26名が各州議会から選出される。
下院の議席は222議席あり、任期は5年。下院解散は、首相の助言により国王が同意することによって行われる。選挙は、小選挙制(1選挙区につき1名の議員を選出)を採用しており、選挙権は、18歳以上の市民権を有する者に付与される。2009年4月のナジブ首相就任後に、省庁再編が行われ、現在、政府は1府(首相府)24省で構成されている。
首相は歴代マレー系のUMNOの総裁が任命され、初代のアブドルラーマン首相から第6代ナジブ首相まで続いたが、2018年独立後初めて政権交代がおこり、1981年から2003年まで首相を務めたマハティール氏が15年ぶりに首相に返り咲いた。親日家でもあった同氏は首相就任当初から「ルックイースト政策」を提唱し、従来欧米を向いていた国民の目を東の国、特に日本に向ける政策をとった。2020年2月24日にマハティール首相が辞任、国王の任命により3月1日ムヒディン氏が第8代首相に就任。2021年8月16日にはムヒディン首相が辞任、イスマイル・サブリ氏が第9代首相に就任した。その後、2022年11月に総選挙が行われ、アンワル イブラヒム氏が第10代首相に就任している。
ブミプトラ政策
ブミプトラとはマレー語で「土地の子」を意味し、主に先住民族のマレー系およびその他少数民族を指す。「貧困の撲滅」と「民族間の所得格差是正」を目的とした「ブミプトラ政策」は1971年に導入され、現在に至るまで続いている。このブミプトラ政策により、順調な経済成長に伴う全体の所得水準の向上とあいまって民族間の所得格差が是正され、政治的安定につながってきたといえよう。
多様性を持つ国
マレーシアに住んでもっとも快適なことは、日本人ということで不愉快な思いをすることが少ないことであろう。歴史的に、マレーシアの人たちは外国人を柔軟に受け入れ、政治的に比較的安定した多民族国家を作り上げてきた。たとえば古くから中継貿易の基地として栄えたマラッカでは、15世紀当時、4,000人の外国商人が住み、84の外国語が話されていたという。各民族は他の民族と交流するものの、互いの違いを尊重し、一定の距離を保ち余計な干渉はしない風土を作り上げてきた。いわば同じ国の中に外国人同士が常に同居しているようなものである。したがって、マレーシアの人たちは外国人に対して違和感がない。自分たちの家族も留学、就労等を通じ多くの国に分かれて住んでおり、国際結婚にも違和感が少ないようである。日本人がすんなりと溶け込める風土があるといえる。
このように古くから外国人を受け入れてきたマレーシアには、5つの多様性があるといえる。すなわち①多様な人種、②多様な宗教、③多様な文化、④多様な言語、⑤多様な食文化である。これらが世界中の人をひきつけ、観光のみならずビジネスが発展する要素にもなっている。
親日国家
特に日本人がマレーシアに住んで快適なのは、政府の方針として「ルックイースト政策」があることも一因であろう。これはいわば「東方にある日本や韓国の仕事に取り組む真面目さ等良いところを見習え」という政策であった。独立後、多くの中華系マレーシア人が私費留学により日本で学んでいる。1980年代の初めから、マレー系を中心とした国費留学生が数多く日本に送り込まれ、日本政府もそれを支援してきている。このため日本語を理解する人たちは想像以上に多い。日本語だからわからないだろうと思って品位に欠けた発言や現地の人の悪口を言ったりすることは慎みたい。さらに、現地の人たちを見下す言動や、横暴な振る舞いをすることは厳に慎むべきである。日本人として「品格」を持った行動をしたい。
民族と宗教・言語
マレーシアの人口は約3,260万人(2022年マレーシア統計局)。そのうちの80%弱は半島マレーシア(西マレーシア)に住んでいる。人口構成はマレー系を中心とするブミプトラが約70%(先住民15%含む)、中国系が約23%、インド系が約7%となっている。東マレーシアでは、イバン族やカダザン族、ダヤック族などの先住民族(オラン・アスリ)の割合が高い。宗教に関しては、イスラム教が国教と定められているが、他の宗教も個人が自由に信仰しかつ実践することができる。各民族の宗教的な大きな行事や祭りの日は国の祝祭日となり、国民全員で祝う。これも国民の一体感醸成に役立っているように思える。
祝祭日
マレーシアの祝祭日については、公休日カレンダーを参照。全国共通の祝日と各州のみの祝日があるので、居住地により祝日は異なる。また、中国歴やイスラム暦、ヒンズー暦などで祝う祝祭日は、西暦の日付は毎年変わるので、その年のカレンダーで確認しよう。
マレーシアのお祝いとお祭り
多民族、多宗教、多文化が共存しているマレーシアには、それぞれの民族がその伝統と文化を守り、受け継いで、それらをお互いに尊重し合う特有の国民性がある。
それぞれの民族が祝い、祭りとして受け継がれてきた行事の一部を紹介する。
*回教徒(イスラム教徒)
- 聖地巡礼祭(Hari Raya Haji:ハリラヤ・ハジ)
回教徒に求められる五つの務めの一つである聖地メッカへの巡礼が成功裡に終わったことを祝う祭りで、国の祭日となっている。 - 断食明け大祭(Hari Raya Puasa:ハリラヤ・プアサ)
イスラム暦9月(Ramadan:ラマダン)に行われる一カ月間の断食が終了したことを祝う祭りで、一般的にマレー人の最大の行事。通常二日間の国の祝日。この日には回教徒は新しい衣服を纏い、沢山のご馳走を用意し友人や親戚の家を回りお祝いを述べ合う。また、オープン・ハウスと称する友人、知人、取引先等を自宅に招待しこの日を祝う習慣がある。この行事は国王、首相等も年間の定例行事として行い、誰でも招待が無くても参加できる。若し、招待を受けたらできるだけ参加することが望ましい。 - イスラム暦の正月(Awal Muharam:アワル・ムハラム)又は(Maal Hijrah:マアル・ヒジュラ)
- モハメッド生誕祭(Maulud Nabi:マウルド・ナビ)
回教の創始者、預言者モハメッド誕生日。国の祝日。
*中国系マレーシア人
中国系マレーシア人は仏教徒、キリスト教徒、道教徒等がいるが、祭りやお祝いは中国の伝統に基づいている。
- 釈迦誕生日(Wesak Day:ウェサック・デイ)
仏陀の誕生日で国の祝日。 - 中国正月(Chinese New Year:チャイニーズ・ニュー・イヤー)
中国系住民の最大の行事で二日間の国の祝日であるが、多くの商店、商売は七日から十日程度休業することが多い。正月の前夜(大晦日)には家を離れて遠くに暮らしている家族全員が集まり、年越しの夕食を食べるのが慣わしである。このため正月の数日前よりバレ・カンポンと呼ばれる帰郷が始まりクアラルンプールは人口が半分以下になると言われている。中国系住民もオープン・ハウスを行う人が多い。 - 十五夜/小正月(Chap Goh Meh:元宵節)
中国歴の正月から15日目のお祭りで、軒先にお供えを飾り、天に祈りを捧げる日である。また、この夜に独身女性は自分の名前を書いたオレンジを川や池に投げ入れると良縁が得られるという言い伝えに基づき、多くの若い女性がオレンジを投げる光景が見られる。 - 墓参りの日(Ching Ming Festival:清明節)
日本のお彼岸にあたり、中国歴の3月に家族全員で先祖の墓を訪れる。墓地を掃除し、故人の好きだった食べものを供え、祈りを捧げ、家族全員で墓の前でお供えものを先祖と一緒に食べて飲んで、先祖を偲ぶ行事である。 - 精霊祭り(Hungry Ghosts Festival:ハングリーゴースト・フェスティバル)
旧暦7月に地獄の門が開き、多くの霊がこの世に舞い戻ると信じられ、この時には中国オペラが各地で上演され、霊を慰め、商店街等には閻魔大王や他の地獄の番人を模した大きな紙人形が飾られ、食べ物が供えられる。これは一見の価値がある。 - 月見/十五夜/中秋節(Moon Cake Festival:ムーンケーキ・フェスティバル)
旧暦8月15日、日本でもお馴染みのお月見が行われる。月餅や茹でた里芋、果物、花等を軒先に飾り満月を愛でるお祭りである。
*インド系マレーシア人
- ディパヴァリ/光の祭り(Deepavali)
ヒンズー教の美と豊穣を司る女神ラクシュミを祝う祭りで、家中を灯かりで飾ることから別名光の祭り(Festival of Lights)とも言われている。この時期には家や商業施設の入口をコーラム(Kolm)と呼ばれる着色した米粒や粉で作ったきれいな模様を床に描き、周りを蝋燭等の光で照らした飾りつけをおこなう。国の祝日の一つ。 - タイプーサム(Thaipusam)
ヒンズー教徒のこの祭りはおそらく世界の奇祭の一つであろう。ヒンズー暦の10月に行われるこの祭りは参加するものにとっては苦行、見るものにとっては難行である。信者は身体に鉤を刺し、舌に鉄棒を通し、神輿を担ぎバトゥケーブの272段の石段を登りムルガン神詣りをするもので、100万人の人々が集まる。サバ州以外は祝日となっている。 - ポンゴル(Ponggol)
基本的には収穫祭だが、ヒンズー暦の正月でインド系住民は一年の始まりのお祭りである。
上記の外に、シーク教の正月、サバ・サラワク州の収穫祭、キリスト教のクリスマス、バレンタイン等のお祝いやお祭りがある。
多くの民族が交流した国
歴史的にマレーシアには多くの民族が渡って来ている。もともとマレーシアには原始先住民族に加え、移住してきたマレー民族が各地に分かれて住んでいた。植民地化を狙ったポルトガル、オランダがマラッカに、イギリスがマレーシア全土に進出、その後労働力や出稼ぎとしてインド人、中国人がやってきて住みついたのである。第二次大戦中は短期間だが日本がマレー半島を支配した。これほど多くの人種がマレーシアにやって来たのはマレーシアが海上交通の要衝にあることと、木材、錫、ゴム、パームオイル等一次産品に恵まれた魅力的な場所であったからである。
最大多数のマレー系国民が、後からやってきた中国系、インド系の移住者を国民の約3割を占めるほど受け入れてきたことは驚異的といえよう。マレー人の寛容性をここに見ることができる。争いごとを好まない穏やかなマレー人であったからこそ、よそ者が自分の土地に住むことを受け入れたのであろう。後から住みついた中国系やインド系もマレー系住民と交わることでその影響を受け、出身国や他の東南アジア地域の中国系やインド系住民と比べはるかに穏やかな性格になっているといわれている。
共通語は英語、公用語はマレー語
中国系は北京語、広東語、福建語等の中国語、インド系はタミール語、パンジャビ語等各民族が独自の言語を継承している。中国語で教育する学校も数多くある。このため、民族間のコミュニケーションの手段としてはもっぱら英語が使われている。イギリスが植民地支配をしていた時に普及した英語が共通語となっているのである。おかげで、英語だけでも仕事や生活にほとんど支障のない日本人にとって、大変とけ込みやすい国なのである。さらにマレー系以外の各民族はほとんどマレー語、英語、各民族の言語の3種類をマスターしており、中国系は中国本土のみならず世界各地に展開する華僑とのビジネスに役立て、インド系はインドとのビジネスに役立てている。またマレー語はインドネシア語とルーツが同じであり、似通っている。インドネシアから出稼ぎ労働者が多いのは宗教だけでなく、言葉に不自由しないことも理由の一つとなっている。
日本人長期滞在者には、積極的に英語・マレー語・中国語など現地の言葉を学ぶことをお勧めしたい。
恥ずかしがらずに英語やマレー語等で話しかけてみよう。